カロリング朝の台頭

【貴族の台頭】

メロウィング朝の時代

メロウィング朝の王たち「○し合うぜ!!ひゃっはぁ!!!!!!!!!!!!!!!」

とある時代の王「ぼくおうさま!!!6さい!!!!!!!!!!!!!!!!」

とある時代の王「ぼくは病弱で政ができぬ・・頼む変わってくれ!!(パリ勅令)」

貴族たち「ええで!!!!(王家はもうだめだな(。-`ω-)」

貴族たち「というわけで、それぞれの分王国のまとまりも強くなってきたし俺たちもやりあいますか??」

メロウィング朝の末期には王に代わって、貴族が台頭するようになっていきます。このころには、地域のまとまりも固まって、アウストラシア、ネウストリア、ブルグンドなどの分王国が成立し、それぞれの貴族が覇権をめぐって争います。614年にはパリ勅令を発布して、メロウィング朝の王は筆頭貴族である宮宰に多くの権力を移譲します。

【カロリング家の台頭】

ピピン一世「王様に宮宰としてアウストラシアを任されたで( ^)o(^ )」

ピピン2世「ワイは、フランク人の“元首“となったで! 宮宰職の世襲化にも成功や!」

613年に王様に、ピピン一世はアウストラシアの宮宰を任されました。この宮宰ピピン一世の家系がカロリング家と呼ばれる理由はのちのカール大帝にちなんでです。ピピン2世のときには、ネウストリア勢力を破り、「フランク人の指揮官にして元首」という称号を得て、フランクの3分王国を実質的に支配します。また、宮宰の世襲性にも成功します。

【カールマルテル】

カールマルテル「ワイはマルテル(鉄槌)の称号を持つものなり。」

カールマルテル「ワイはほかのライバルどもを完全に淘汰して、このフランク全体の宮宰となったで!!」

カールマルテル「この名のとおり強硬的な政治でいくで!!」

カールマルテル「まずは悪いけど南ガリアの教会財産は没収させてもらう!!!貯えすぎや!!( `―´)ノ」

カールマルテル「そのお金を使って、異教徒どもをぶっつぶすで!!!!!」

732年にトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム軍を撃破

ローマ教会「オオ!!彼は信仰の擁護者じゃ!!」

カールマルテル「はは!!いいこと言うじゃないか!!!!!」

ピピン2世の子供であった、カールマルテルはピピン2世のあと、ライバルたちに勝ってフランク王国全体の宮宰となりました。彼は強権政治を行い、例えば、キリスト教圏である南ガリアで略奪行為を行い、境界財産を没収し、騎馬装備を賄う財産にしました(しかし、教会は全土の4分の一ほどの財産を蓄えていたため、この略奪行為は必ずしも悪いとはいえません)。そのため彼は「マルテル(鉄槌)」という称号を得るようになります。また、カールは732年にトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム勢力に勝利します。これによって彼は“信仰の擁護者”という名誉を得ることができました。

【カロリング朝誕生】

ピピン3世「ついに!我がカロリング家は元首として、宮宰としてフランク王国を統治している!!」

ピピン3世「しかし!それでも王ではない!!!」

ピピン三世「王になろうにも、やはり国民は歴史や伝統を重んじるからな(。-`ω-)」

ピピン3世「それでも!!俺は王になりたい!!!!!!!!!!!!!」

ピピン3世「・・・・・・・・・・・ひらめいた!!!!!!!!!!!」

750年教皇ザカリアスに使者を送る

ピピン3世「ねぇねぇザカリアス君!王の称号を持つのみの者と王ではないが王権を持っているものどっちが王だと思う??」

ザカリアス「それは、実権を持ってるほうだろ(。-`ω-)」

ピピン3世「だよなwww俺、王になりたいねんwww手伝ってやwwww」

ザカリアス「・・・・・・(先日、聖像禁止令をめぐってコンスタンティノーブル教会とビザンツ皇帝に喧嘩売ったばっかだから強い仲間がほしいな(。-`ω-))」

ザカリアス「ええでwwwwwwwwww」

ピピンはキルデリク三世を退位させ、強硬から塗油を受け取り、王として聖別された

ピピン3世「ありがとう!!!!!ザカリアス君!!!」

ピピン3世「お礼に、この前ランゴバルド人から奪った土地あげるわwww」

ザカリアス「わーい( ^)o(^ )」

フランク王国で唯一無二の権力を手に入れたカロリング家でしたが、それでも、メロウィング家には250年の歴史と伝統があり、王にとってかわることができませんでした。王になりたかったピピン3世は伝統や慣習によらない権威を重んじる教会に目をつけます。750年に教皇ザカリアスに使者を遣わし、「“王の称号を持つのみの者”と“王ではないが王権を持っているもの”どちらが王にふさわしいか」尋ねました。そうするとザカリエスは「実権を持つ者が王になるべき」と答えます。教皇の後ろ盾もあって、751年にピピン3世はキリデリク3世を退位させて、修道院に幽閉。教皇から塗油を受けて、王として聖別されました。こうして、カロリング朝が始まります。758年にイタリアに侵攻したピピンはランゴバルド人を破り、ラヴァンナなどの領土を教皇に寄進します。これをピピンの寄進といいます。これが教皇領の始まりで、利害が一致したローマ教会とフランク王国の結びつきは強くなっていきました。

koukoku 4tume
mokuji

目次へ

おすすめの記事へ

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*