ササン朝

【滅ぶパルティア 興るササン朝】

パルティア「イラン人強いんごおぉおおおおおおおおおおお!!!!!」

イラン人「農業で鍛えたからな」

ササン朝ペルシアが誕生する

【ササン朝の有名な王様と出来事】

アルダシール1世「パルティアを滅ぼし、ササン朝を建国したのはこの私だ!! ゾロアスター教を国教にするで!」

シャープール1世「ワイはイラン人と非イラン人の王や(*^_^*) 前王と違って、イラン人の王ではないで!! ワイの時代はよく戦ったわ。ローマ軍と戦って、皇帝ウァレリアヌス帝を捕虜にしたり、クシャーナ朝を滅ぼしたり楽しかったなぁ」

ホスロー一世「一時期はエフタルとかいう猿どもに侵略されたけど、逆に滅ぼしたったwww ビザンツ王国とも戦いも、うまくいった(*^_^*)」

ホスロー2世「ワイのときが領土最大になったで!!まぁ東ローマ遠征は失敗したけど、誰にでもミスはあるwww」

ヤスダギルド3世「イスラム勢力強すぎww先祖様ごめんww滅ぶわwwww」

【ササン朝誕生まで】

アレクサンドロスが征服したアジアの領土は全て、ギリシャ系のセレウコス朝に引き継がれます。しかし、前3世紀にアム系のギリシア人が独立したパクトリアをたてると、遊牧民のイラン人がカスピ海東南部にパルティアを建国しました。パルティアはメソポタミアを併合し、東南貿易の利益を独占して栄えていました。しかし、それを滅ぼして、前2世紀にイラン系のササン朝ペルシアが誕生します。

【ササン朝概要】

ササン朝ペルシアはパルティアと同じく、クテシフォンを首都に置きます。ササン朝とパルティアの大きな違いはササン朝は政治的中央集権主義とアルタシール1世が国教と定めたゾロアスター教の国家的バックアップがあることです宗教組織と国家組織が結びついていることがササン朝の大きな特徴です。(もっとも、ゾロアスター教の教義や教団の性質は時代によって変わっているため、ササン朝の国家政策によって大きな影響を受けたと言えますが・・)

【ササン朝の主な出来事】

第二代皇帝のシャープール1世は、シリアに侵入して、ローマ軍を破り、ローマの皇帝ウァレリアヌスを捕虜としました。また、東方ではインドのクシャ―ナ朝を滅ぼしました。

5世紀の後半には、エフタルの侵入を経験しましたが、ホスロー1世のときに突厥と組んで、エフタルを滅ぼします。そして、ホスロー2世のときには、領土が最大となりました。

しかし、ホスロー二世の東ローマ遠征の失敗から衰退しはじめ、ヤズダギルド三世のときイスラム勢力にニハ―ヴァンドの戦いに負けて滅亡します。

【ササン朝の文化】

ササン朝は宗教に寛容で、3世紀には国教のゾロアスター教以外にもキリスト教やマニ教など様々な、宗教が共存していました(マニ教は後に異端とされ、東方に伝わっていった)。また、ササン朝時代には建築・美術・工芸の分野で大きく栄え、精巧に作られた銀器、ガラス器、毛織物などの技術はイスラーム時代に受け継がれ、西にはビザンツ帝国をへて地中海に、東には中国をへて、飛鳥・奈良時代の日本まで伝えられました。法隆寺の獅子狩文錦などが代表的な例です。

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