ルワンダ内戦4

【第一次ルワンダ内戦終結とハビャリマナ死亡】

アフリカ諸国「ちょっとお前調子乗りすぎやわ」

ハビャリマナ「むむ・・・しゃーないから迫害はいったん止めるで(;´д`)」

しかし、大統領が行った姑息な手は効果がほとんどなく、ルワンダ政府はアフリカ諸国から批判されていくようになりました。欧米諸国の介入を危惧したハビャリマナは迫害の手を緩め、1993年にタンザニアのアルーシャでRPFの代表者と和平合意をしてルワンダ内戦はひとまず終結しました。しかし、ツチ族迫害の手を緩めたせいでフツ族強硬派の不満は爆発。フツ強硬派はハビャリマナの死を「予言」という形で新聞に搭載しました。1994年三月にハビャリマナ大統領と側近が乗った飛行機ロケット砲で撃墜されて、ハビャリマナを含めた乗客全員が死亡しました。

【ジェノサイド(大量虐殺)】

フツ族強硬派「大統領が死んだのはツチ族の仕業だー(棒)」

フツ族「まじか!?( ゚Д゚)許せねぇ(; ・`д・´)」

フツ族強硬派「みんなで大統領のかたきうちしようぜ!!」

フツ族「ひゃっはぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」(四年ぶり二度目)

フツ強硬派「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」

フツ強硬派と暫定大統領のテオドレ・シンディクブワボは大統領殺害の犯人をツチ族と断定し、フツ族に「報復」をするように呼びかけました。呼びかけから一日も待つことなくツチ族の大量虐殺がルワンダ全土で始まりました。フツ族強硬派はツチ族が住む家と家族構成をあらかじめ調べていたのです。大統領の死亡から100日で80万人から100万人ともいわれるツチ族がなくなりました。

【ツチ族殺しは神の意志!?】

フツ族強硬派「虐殺始めたらマリア様が現れたやで(#^.^#)」

フツ族聖職者「それは本当ですか!?」

フツ族強硬派「それがマジ・・!!本当なんだって!!!!!ツチ族殺しは神様が望んでることやできっと!」

フツ族聖職者「ひゃっはぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」十字架ポイッ

フツ族強硬派はフツ族のキリスト教信仰の心もツチ族虐殺に利用しました。虐殺開始の5月15日に「キベホ大聖堂にマリア様が現れた」という噂を広め、ハビャリマナ大統領は神の国で聖母の傍らにいると予言者が言っていたとラジオ放送を使って全土に広めました。それを聞いたフツ族聖職者の多くはツチ族殺しが神の意志だと解釈してジェノサイドに参加しました。しかし、ツチ族かばったり、国内逃亡の手助けをしたりする勇敢な聖職者も少なくなかったそうです。

【知らんぷりの欧米諸国】

ルワンダの将校「フツ族の暴走が止まりません!ジェノサイドです!助けて下さい!」

国連「ん~今忙しい」

ルワンダの将校「ふぁっ( ゚Д゚)ジェノサイド・・そうや!ジェノサイド条約!国連はジェノサイドが起こったら助けないとあかんって国連で決まってますよね!?」

国連「ジェノサイドとかなかなか起こらないからwよくある小競り合いやろ?そのうち収まるって」

ルワンダの将校「あなたのところのベルギー兵も殺されたんですよ!!!」

国連「それは重大な問題だけど・・もうちょっと様子みてみよ!」

ルアンダの将校「そんな・・なんのために安保理があるんや・・」

世論「いや、流石にそれはひどいやろ。助けたりーや」

国連「ちっ。しゃーない助けてやるか」

ルアンダの大虐殺が世の中で話題になり始めても国連はなかなか平和維持軍をルワンダに送ろうとしませんでした。1948年に「ホロコースト」のような大量虐殺を阻止するために、そのような行為を阻止することを加盟国に義務付ける「ジェノサイド条約」が決議しましたが、国連はルワンダのツチ族大量虐殺をなかなか認めませんでした。理由は常任理事国であるアメリカとフランスが国連のルワンダ介入を踏みとどまらせたからです。アメリカにとっては多国籍軍としてソマリアに派遣された米軍兵士が現地の武装集団に引きずり回される映像が世界中で放映されてしまったことが記憶に新しく、世論を考慮してアフリカに兵を派遣をしたくなかったのです。また、フランスにとっては、ルワンダはアフリカの重要な政治拠点であり、軍事援助を行っていたため、儲けを考えると多国籍軍に介入してほしくはありませんでした。しかし世界中の世論がルワンダのジェノサイドに対する疑問を持ち始め、まずフランスが重い腰を上げ、1994年の6月22日に多国籍軍の派遣を決定。しかし軍が到着したときにはすべて終わっていました。

【ルワンダはどうなったのか】

RPF「祖国ルワンダを救わなければいけない・・・・」

RPF「みんなオラに元気を分けてくれ・・・・!!」

フツ族・ツチ族「RPFの声だ!みんな手を掲げるんだ!!」

RPF「くらえ!!!!これが平和の元気玉だぁああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

フツ族強硬派「ぐぬぬ・・逃げるぞ・・・・・・・・」

結局のところ、ルワンダはルワンダから亡命した人たちによって救われました。大量虐殺を見たRPFが停戦を破棄してツチ族を救うために1994年の四月にルワンダ領内への攻撃を開始しました。最初は二万人だけだったRPFの兵員はルワンダの秩序回復を望むツチ族、フツ族がどんどん加わっていき、フツ族強硬派を隣国へ追いやり、首都キガリを占領したときには150万人に達していました。その後、フツ族のパステール・ミジムングが大統領に、ツチ族のポール・カガメが副大統領になりルワンダ新政府が樹立し、ルワンダの大虐殺に終止符が打たれました。

【大虐殺以降のルワンダ】

カガメ大統領「フツ族とツチ族の区別をなくすで!俺たちは「ルワンダ国民」だ!」ドンッ!

一部の過激派フツ族「ちっ。カガメはツチ族ばかり味方しやがる」

国連「ジェノサイドの責任者を裁くで!俺たちはジェノサイドを許さない!キリッ」

フツ族難民「やっとルワンダに平和が訪れた・・帰るぞ・・!!故郷に!!!!!」

まず、国連がジェノサイト行為の責任者を裁くために「ルワンダ国際戦犯法廷」を設立しました。その後、大統領になったカガメは公式の場でフツ族、ツチ族の区別をすることを禁止しました。しかし、100年続く民族の憎しみはそう簡単になくなるものではありません。それでも、平和になっていくルワンダにフツ族難民は帰郷していき、005年には難民の数は3万人以下になりました。

【ルワンダ大虐殺まとめ】

このルワンダ大虐殺は決して大昔の話ではありません。1994年とまだ30年もたっていない最近の話です。しかし、ルワンダで大虐殺があったことは日本ではあまり知られていません。このルワンダでの大虐殺の大きな原因には「「民族」「部族」の区分」が大きな役割を果たしています。どの国のどの時代を見ても「部族、民族」と「争い」は避けられない関係にあります。「部族」「民族」の違いでなぜ人は争うのでしょうか。ここでは多く語りませんが、どうかこのルワンダ大虐殺のことを知ったことによって「争い」と「「部族」「民族」の区分」がどのように関係しているのか考えてみてください。

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