北朝鮮の歴史3

【1980年代】

金正日「韓国の現政権を打倒して人民たちを救うで(#^.^#)」

金正日「現政権の全斗煥は学生に嫌われてるし、成功すれば韓国の学生たちに喜ばれるやろなぁ(#^.^#)」

金正日「南北統一も夢じゃないんちゃうか(;^ω^)」

金正日「よっしゃ!一肌脱ぐか!全斗煥のアジア諸国歴訪に合わせて、政府の要人暗殺すっぞ!!」

実際にビルマでラングーン事件を起こして、韓国政府の要人を数人暗殺したり、大韓航空を爆破したりする。。

国際世論「うわっ北朝鮮最低~」

韓国人「それな。これだから社会主義国は。俺らはみんなと仲良くオリンピックをうちでするから!!邪魔しないでほしい!!!!!!!!!!!!!!!」

金正日「ひどい・・頑張ったのに」

1980年代、韓国では、全斗煥大統領に対する学生民主化運動が激化していました。(光州事件)。一方北朝鮮は1980年の10月に韓国の現政権を打倒して人民を開放し、南北を統一するというビジョンを明らかにしていました。そのため、この学生運動が好機とみた、金正日は、全斗煥大統領のアジア諸国歴訪に合わせて韓国政府の要人を暗殺したり(ラングーン事件)、1987年には大韓航空機を爆破するなどを行いました。しかし、これらの行為はテロ国家と世論から非難されることとなります。1988年にはソウルでオリンピックが成功した一方、北朝鮮はどんどん孤立していきました。

【1990年代 前半】

金正日「ソ連解体( ゚Д゚) それに伴い周辺諸国の社会主義体制が崩壊している・・」

金正日「しかも、韓国とロシアの国交も正常化しとるし」

金正日「でも、ワイらは負けへんで!ぜったいに南北朝鮮を統一させるんや!!!!」

金正日「これを機にもっと韓国とも話し合わなあかんな。」

金正日「ちっとは妥協も必要か」

1989年以降の共産主義国家の民主化の影響は北朝鮮に大きな影響を与えました。1990年にソ連と韓国の国交が正常化した事件は、北朝鮮にとって、ソ連が国家承認を認めるということなので大きな衝撃を与えました。そのため、北朝鮮は韓国との対話を開始し、南北統一の形として一国二制度の形もあるなどの妥協案を提示します。また、1991年には北朝鮮は韓国と共に国際連合に加盟、非核化交渉、日朝交渉なども開始されました。北朝鮮が非核化交渉を行ってたのは意外でしたね。

【1990年代 中盤】

日本「国際連合参加おめでとう。ところで拉致の話やねんけど」

金正日「あん?そんなん知らんわ。国連も核拡散防止条約も日朝交渉も南北対話もやめさせてもらう!!!」

世界「えぇ・・・・・・・・・・・・・」

アメリカ「おいっ!核に関しては、けじめをつけてもらわなあかんぞ!!」

金日成「┏━━━━━┓

┃ / \ ┃

┃/   \┃

┃ (゚)(゚)ミ ┃

┃ ノ   ミ ┃

┃ つ  ( ┃

┃  )  ( ┃

┗━━━━━┛」

一時は日朝交渉が開始されたり、核拡散防止条約に署名したりしたが、日本が拉致問題について取り上げたり、韓国と中国の国交が正常化すると態度が変化。1993年に北朝鮮は日朝交渉と南北対話を中断し、核拡散防止条約から脱退を宣言しました。しかし、国際社会はそれを認めず、アメリカは即座に北朝鮮と核問題について、交渉を始めますが、交渉の最中、金日成主席が死去。金日成の死後、1994年12月27日になんとかアメリカと北朝鮮の間で米朝枠組み合意が結ばれました。

【1990年代 後半】

金日成「お父さんの意志はワイが受け継いだで!!!頑張るで!!!!!!!」

飢饉「よろしくにき~~~~~~~~^^^^^^^^」

金正日が国のトップになってすぐに飢饉が北朝鮮を襲います。社会主義で集団農場を行っていたため、うまく行ってなかったのに加え、天候不良や大洪水が重なったのです。一説によれば、餓死者は100~300万人と言われています。

北朝鮮の歴史4

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