バビロン第一王朝とハンムラビ法典

アムル人「アッカド人の次はワイらの時代やで!!!」

アムル人「ワイらもハンムラビ王の時メソポタミアを支配してバビロン第一王朝(古バビロニア王国)を興したんやで!!」

アムル人「ハンムラビ法典って知ってるやろ!“目には目を 歯には歯を”ってやつ!これを作ったのもハンムラビ王様なんや!!」

アムル人「ま、このハンムラビ法典、刑罰は被害者の身分によって違うけどなwwww」

ヒッタイト人「てことは侵略には侵略だよね(ゲス顔)」

アムル人「えっ」

ヒッタイト人「倍返しだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

アッカド人の統一国家が滅んだあと、ウル第三王朝がおこりますが、これも間もなく滅び、次に栄えたのはセム語系のアムル人バビロン第一王朝(古バビロニア王国)でした。ハンムラビ王のとき、全メソポタミアを支配し、ハンムラビ法典を発布して強力な政治を行いました。しかし、前17世紀にヒッタイト人によって滅ぼされてしまいます。

ハンムラビ法典とは・・・スサ(イラン)で発見された法典碑のこと。楔形文字で書かれており、イギリスのローリンソンによって解読された。刑法は「目には目を 歯には歯を」といった復讐法の原則に立っていたが、“他人の奴隷の目を潰した場合はその奴隷の値の半分を払えばよい”など刑罰は身分によって違っていた

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