ベルリンと冷戦(5)

【広まる大規模デモ】

東ドイツ国民「我々は人民だ!!!!!!!!!!!!」

東ドイツ国民「言論の自由を!!!!!!!!!!!!!」

東ドイツ国民「今までの政策の誤りを認めろ!!!!!!!!!!!」

東ドイツ政府「デモ止まらへん。軍を出すしか・・」

フリッツ大将「軍は何もできないよ!平和的に進行させましょう!」

東ドイツ政府「えっ( ゚Д゚) ソ連君助けて・・・・」

ソ連「ん~無理(#^.^#)」

1989年ごろになると「言論の自由」や「西ドイツへの自由な移動」を求めて大規模なデモが起こりました。10月16日に起こったデモに対して東ドイツ政府は軍にデモを止めるように命令。しかし、東ドイツ軍参謀総長のフリッツ・シュトレーレッツ大将は命令を拒否。ソ連にも助けを求めましたが、ゴルバチョフは完全に東ドイツ政府を見放していました。

【歴史的大勘違い】

東ドイツ政府「国民がハンガリー経由でどんどん消えていくし、デモも収まらへん(T_T)/~~~」

東ドイツ政府「出国ビザを発行して、旅行としての出入国制限は緩くするから東ドイツに帰ってきてもらうようにしよ」

東ドイツ政府「てことを記者会見で発表させるやで」

シャボウスキー報道官「遅刻遅刻!!!!しかも今日はなんの記者会見なんかよくわからへんwww」

シャボウスキー報道官「ま、書類見ながら適当に話すかww」

記者会見にて

シャボウスキー報道官「えー出入国の制限を撤廃します」(書類を読みながら)

記者「えっまじで( ゚Д゚)  いつからですか??」

シャボウスキー報道官「(そんなん知らんわ) いつやるか?今でしょ!!!」

東ベルリン民「やったあああああああああああ!!!(#^.^#) 西いくで!!!」

シャボウスキー報道官「勘違いしちゃった♪テヘ」

東ドイツ政府「テヘっじゃねーよ( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚) どーすんだこれ( ゚Д゚)」

東ドイツ政府はデモの鎮圧とハンガリー経由での西ドイツへの亡命者を減らすために旅行するための出入国の規制を緩和することを決めました。そのことを発表する記者会見にジャボフスキー報道官は遅刻。内容をよく把握していないまま記者会見に挑みます。ジャボフスキー報道官は「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めてすべての国境から出国ができる」と発表。「旅行の場合の規制緩和」ということを言い忘れました。また「いつから発効するのか」という質問に対して何も知らないジャボフスキー報道官は「今すぐ」と答えました。発表後すぐに自由に出国できると聞いた東ベルリン市民がベルリンの壁に集まり崩壊へのカウントダウンがスタートします。一人の男の勘違いが歴史を動かすことになったのです。

【ベルリンの壁崩壊】

東ベルリン市民「自由に出国できるぞ!!!!!!俺たちは自由だ!!!!!」

東ベルリン市民「壁を乗り越えろぉおおおおおおおおおお!!!!(*^-^*)」

ベルリンの壁「おわた(*^-^*)」

ベルリンの壁に集まった東ベルリン市民たちはベルリンの壁に集まり、その日の夜に数万人の東ベルリン市民が西ベルリンに出国。ベルリンの壁はその場で東西両方の市民によって破壊されました。1989年の9日に起こったこの出来事を「ベルリンの壁崩壊」と言います。

【ついに東西ドイツ統合】

東ドイツ政府「ほとんどの国民が西に行ってもた」

東ドイツ政府「もはや東ドイツって存在する意味あるんか」

西ドイツ「一緒になろうよ」

東ドイツ政府「そうだね」

東ドイツ&西ドイツ「フュージョンッは!」

ドイツ「やっと統一できた長かった!!!!!!!!」

ほとんどの国民が西に行った東ドイツは国家として存続していくのが難しくなりました。1990年の東ドイツでは最初で最後の自由選挙が行われ、東西ドイツ統一を早急に進める政党が勝利。1990年10月についに東ドイツは西ドイツに編入されて統一ドイツが成立。東西冷戦のシンボルが消えたのです。そして、翌年にはソ連も崩壊し冷戦も終結します。

【ベルリンと冷戦まとめ】

僕が生まれたころにはドイツは統一していたし冷戦は終わっていました。まさかベルリンの壁が勘違いで崩壊したとは驚きですね。その後、ジャボフスキー報道官はどうなったのでしょうか(笑) 長くなりましたが、東西冷戦の象徴であるベルリンについてまとめてみました!

koukoku 4tume
mokuji

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