ベルリンと冷戦(2)

【甘い爆撃】

パイロットたち「俺のほうがたくさん運ぶぞ(#^.^#)」

管制官「忙しすぎwwwwwwwww」

ゲイル中尉「なんかみんなが喜ぶことしたいな!!」

ゲイル中尉「せや!子供のためにキャンディーを上からばらまこう(#^.^#)」

子供たち「お菓子の爆撃だ(≧▽≦)」

大人たち「ええはなしや(*´▽`*)」

米軍の司令官は各基地の輸送量を毎日発表しました。そうすると資本主義らしくパイロットたちは毎日の輸送量を競い合いました。忙しいときだと3分に一機、空港に飛来するという管制官殺しのペースを実現しました。

あるときパイロットのゲイル・ハルバース中尉はハンカチでパラシュートを作り、チョコレートやキャンディーを括り付けてベルリン上空から甘いお菓子の爆撃を個人的に始めました。これはベルリンの子供たちの中で話題となり、マスコミが取り上げることによってアメリカからハンカチとお菓子の寄付が殺到しました。

【ベルリン封鎖解除】

アメリカ軍人「戦時は町に爆弾を落としてた俺たちが今度は人のために役立てるんだ!やってやろうぜ!」

ソ連「空から・・・・・・だと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」

アメリカ「君がッ、泣くまで、運ぶのをやめないッ!」

ソ連「わかったわかった。もうやめるよ・・・・・・」

毎日西ベルリンに物資を運ぶのは、パイロットにとって危険で過酷なものでしたが、彼らは約一年間の間、物資の運搬を続けました。ソ連は何度か空輸の妨害を試みましたが、空輸作戦の成功が明白となり、流石のソ連も封鎖の失敗を認めざる得なくなりました。1949年5月12日に封鎖は解除されました。

【減っていく東ドイツの人口】

東ドイツ政府「ベルリン封鎖はやめても社会主義はやめへんで!!ww」

東ドイツ政府「企業は国有化! 政権を批判するやつは逮捕や!」

東ドイツの知識人「やっぱあかんわ社会主義は」

東ドイツの若者たち「それな この国には未来がない」

東ドイツの住民たち「家出するか(#^.^#)」

東ドイツの知識人&若者&住民「そうしよう!!!!!!!!」

ベルリン封鎖が終わった後も社会主義体制は変わらず、企業は国有化、言論の自由もなくなり経済状況は悪くなっていきました。それに嫌気がさした東ドイツ市民たちは医者や弁護士たち知識人や若者たちを中心に西ドイツに逃げ込みました。当時は東ベルリンと西ベルリンの行き来が自由にできたので、東ベルリンから西ベルリンに電車や徒歩で渡り、飛行機で西ドイツまで簡単に行くことができたのです。

 

【ソ連、アメリカとの話し合いを決意する】

東ドイツ第一書記ウルブリヒト「フルシチョフさん。人口流出が止まりません!!」

フルシチョフ「それは深刻な問題やな。わいにまかせろ!どうしてほしいんや?」

東ドイツ第一書記ウルブリヒト「流出を止めるためには西ベルリンの航空アクセスの管理権を西から取らなければならないと思います・・」

フルシチョフ「みんな西ベルリンの飛行機で逃げるもんな。わかった!!」

東ドイツ第一書記ウルブリヒト「よろしくお願いします」

フルシチョフ「てことはアメカスと話し合いしなあかんな」

フルシチョフ「三年前いった西ベルリンの非軍事化、中立化は完全に無視されてるし(; ・`д・´)」

フルシチョフ「最近、ケネディとかいう新しい大統領が就任したらしいし、いいタイミングやな\(^o^)/」

フルシチョフ「アメリカ君!お話ししよ!!!」

西ドイツへの人口流出が深刻な問題となっている東ドイツのウルブリヒト第一書記はソ連のフルシチョフに対して、「西ベルリンのすべての航空アクセスの移譲」「西ベルリンの西側軍隊の撤退」「西ベルリンの占領状態の撤去」を要求しました。その要求に対してフルシチョフは「アメリカとの具体的な協議に入る」と回答。フルシチョフにとって1958年に行った「西ベルリンの非軍事化・中立案」は完全に無視され話し合いをする理由もあり、話し合いの相手も就任したばかりのケネディ大統領なので組見やすいと判断しました。

koukoku 4tume
mokuji

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