ネルソン・マンデラ(2)

【黒人解放運動組織ANC】

黒人「ここはどこだ?黒人の大陸アフリカだ!」

黒人「なぜ白人によって黒人は支配されているのだ?」

黒人「俺たちは黒人の国を取り戻すぞ!!!!!!!!!!!!!」

最初は黙って白人に服従するしかない黒人たちでしたが、理不尽な暴力や法律に黒人もたちもずっと黙ってはいられませんでした。1912年には黒人の権利取得と黒人の差別反対を訴える「南アフリカ原住民族会議(SANNC)」を設立。1925年にはピクスレー・セメら四人の黒人弁護士によってANCに改称されました。最初のANCの活動規模は小さいものでしたが、アパルトヘイト政策が施行される頃から黒人の大衆運動の中心的な役割を担っていくようになります。前述したようにマンデラも1942年からANCの運動へ参加しました。

【非暴力非服従のマンデラ】

ガンジー「非暴力非服従で南アフリカでのインド人の権利勝ち取ったったwwww」

黒人たち「流石ガンジー!俺たちができないことを平然とやってのける!そこにシビれる!憧れるぅ!」

マンデラ「本当にガンジーさんはすごい!俺たちも非暴力非服従で独立を勝ち取るで!!!!(; ・`д・´)」

黒人たち「マイブィエ!(取り戻せ!)アフリカ!!!!」

マンデラは1950年にANC青年同盟の議長に就任しました。彼は南アフリカとインドでインド人の権利を勝ち取ったガンジーを見倣い、ANCの黒人解放運動は「非暴力抵抗」で行うものだと主張しました。最初は黒人の権利取得には暴力やむおえないと考えるシズル(ANCのリーダー格の一人)と対立しましたが、最終的には「非暴力抵抗」で不公正な法律に立ち向かうマンデラの方針が採用されました。マンデラのこの方針が採択されることが決まった議会は以後南アフリカの黒人解放運動の合言葉となる「マイブィエ!(取り戻せ)アフリカ!」という叫び声と共に閉会したそうです。

【非暴力抵抗に対する容赦ない暴力】

黒人たち「マイブィエアフリカ!マイブィエアフリカ!」

白人警察「ぶっつぶせ!!!!!」

黒人たち「ぐあぁああああああああああああああああああああああああああ!!!」

白人警察「やり返してこないから楽すぎわろたwwwwwww」

1955年にヨハネスブルグ郊外で開かれたANC主体の「人民会議」で「自由憲章」が採択されました。そこには「全人種の完全な平等の実現」や「アパルトヘイト政策の全廃」「基本的人権の確立」が明記されていました。しかし、それ以降、南アフリカ政府はデモやストライキなどの「非暴力抵抗」を暴力で押さえつけました。

【白人警察の発砲事件と南アフリカの英連邦脱退】

黒人たち「マイブィエアフリカ!マイブィエアフリカ!」

拳銃「よろしくニキー(#^.^#)」

英連邦「流石にそれはひどくね(。-`ω-) ちょっと調べさせてもらうわ」

マラン政権「そんな内政干渉は許されない!部屋に帰らせてもらう!!」

英連邦「フラグwwwwwwwwwwwwwwww」

1960年の三月に身分証携帯強制に反対する集会をしていた黒人たちに対して警官隊が無差別発砲を行い69人が死亡するという事件が起きました。この事件によって南アフリカは国際的な非難をうけ、1961年の英連邦首相会議で加盟国の南アフリカに対する内政干渉を決議しましたが、南アフリカはそれを拒否し、英連邦から脱退しました。

koukoku 4tume
mokuji

目次へ

おすすめの記事へ

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*